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【ことみの婚活こじらせ体験記#0】32歳女性大企業安定志向のリアル婚活の始まり。のその前に。
こんにちは!
吉祥寺の結婚相談所マリッジサロン フリッカ(Marriage salon Fricka)の福崎ことみです。
最近ほんの少~しだけ、気温が下がっていると感じる都内です。ものすごい雷も鳴り響いたりと今年も「最近の日本の夏だな~」と感じます。
みなさん、ご体調はいかがでしょうか?
さて、今日から、『ことみの婚活こじらせ体験記』シリーズが本邦初公開でこのHP公式ブログで始まります。
自分で言うのもなんですが・・・恐ろしいほど婚活時代の私はこじらせております😂
いま、こうして振り返ると、婚活を始める前から、少しずつ考え方や行動、感情がこじれ始めていたのかな、と思ったりもします。
そんな私が、どのような軌跡をたどって、「生まれ変わってもまた絶対に結婚したい」と思えるような大好きな夫と結婚するに至ったのか。
赤裸々に綴っていきます。
・結婚相談所で結婚した人は、どんな婚活を経て結婚したのか。
・32歳の婚活女性はどんなことを考えて婚活をしていたのか。
読んでいただくとわかるような、わかりやすい文章を努めたいと思います。
また、読んでくださった方が、今まさに婚活中の方も、これから婚活されるスタート地点の方も、なにか婚活のヒントになれるものをお届けできたらと思います。
前置きが長くなりましたが、『ことみの婚活こじらせ体験記』シリーズ、いよいよ始まります。
今日はシリーズ①。リアル婚活の始まりのその前に、ということで、福崎ことみの幼い頃から、婚活を始める直前までのことを書いていきます。
ぜひお付き合いくださいませ。
【福岡での幼少期~高校~大学入学までの福崎について】
私は、学校の校長と教務主任だった共働きの両親と3歳上の性格は全く違うけど憧れの姉の4人家族で育ちました。小さい頃から所謂「良い子ちゃん」で特に反抗期もなかったそうです。ピアノは6歳の頃から14年間。そのほか、水泳、習字、塾、発明クラブ(大きな賞を取り新聞にも載ったことも。とはいえ、発明のセンスは全くありません😁)など、習い事もたくさんしていました。海外の女の子のホストファミリーになったり、自分もホームステイに海外に行ったりと、海外で生きる人達にも好奇心が強い子どもでした。
勉強がわかるのが好きになり、姉を追って福岡市の修猷館高校に入学。
高校時代にはモテ期も!恋愛は完全受け身な福崎でした。
高校では、部活や体育祭に熱を上げ、勉強はどんどん後回しになっていきました😂。
そんな私は憧れだった大学を受験するも不合格。もう一度挑戦するため、福岡の天神にある河合塾に1年通いました。でも、翌年も残念ながら第一志望校に合格することは叶いませんでした。
国際関係を学びたかった私は、受験していた津田塾大学に入学することに。
19歳になり、ついに親元を離れ東京での大学生活がスタートします。
メイク、ファッション、ダンスが大好きで、本もよく読んだ学生時代でした。
(当時、第一志望じゃなかったけど、母校は人格を形成する上で、たくさんの素敵な恩師、友人と出会うことができた大切な場所となりました。いつか、母校に恩返しをするのが私の夢のひとつです☺)
【社会人の20代~30代の頃の福崎について】
新卒で入ったのは、大手鉄道会社。仕事を頑張りたいと思っていたので、就活はマスコミ系をメインに、どこも総合職でエントリーしていました。
同期の男の子たちは堅実タイプで、結婚相手にもってこい!!の男性たちだったけど、当時の私はそれに気づいていませんでした。
仕事に精一杯だった20代(20代で部署が5箇所も変わりました)。
友人からはありがたいことに紹介もたくさんあったりと、20代は高校・大学時代と比べてもモテに関しては大きな違いを感じなかったのですが、30歳を迎え、31歳、32歳と進むにつれ、「何かが違う」と思い始めていました。
はっきり。確かに。
デートはあっても、付き合うに至らない。
30代になり、仕事はより責任が大きく忙しくなり、いよいよ没頭しなくてはいけないくらいに。
仕事と恋愛の両立もできず、“仕事のみ”になり、一気に恋愛から遠ざかり恋愛力を高めるのも怠った30代始めを過ごしました。
月曜日から金曜日まで忙しく夜遅くまで働いて、JR中央線に揺られて帰宅。
やっとくる週末を楽しみに頑張っていました。そうして待ちに待った土日も、ひとりで過ごすことが次第に増えていきました。
(よく泊まりにいっていた姉にも家族ができました。)
スタバで本を読んだり、美味しいものを食べたり。
一人旅にでかけたりと、それなりに楽しかったです。
自分へのご褒美のスイーツも本当によく食べ(どんだけ!😁)、運動が大好きだったのに、疲れてジムにも行かなくなってしまい、165センチ、かつては痩せていた身体はみるみるうちに、どんどん太っていきました。
この頃、強く思い始めていたこと。
それは、「一人でいるのが飽きたな」という気持ちでした。
そして、同期の男の子たちはいつの間にかみんな結婚していて、子どもを持ち始めていました。毎日会社で一生懸命仕事をして、穏やかで、堅実な同期の男の子たちが幸せそうに思えました。
【婚活を真剣に考え始めた32歳の頃の福崎について】
自分のこれからの人生を考えたときに、幸せな結婚というものを描きました。
漠然と、「そのうちいつかできる」と思っていた結婚。
「仕事を頑張っていれば、人生頑張っていれば、神様は見てくれて、きっと素敵なことがおこる」とさえ思っていました。
でも、本当は、結婚は、神様がくれるものではなくて、映画みたいに突然にある日くるものでもないということ。
結婚したいのであれば、結婚するために、必要な、正しい努力が必要なんだ、ということに気づき始めたのです。
165センチ、代謝が悪く太ってきた私にあるのは、確かに頑張ってきたこれまでのこと。積み上げてきた今の自分。
この頃、昔から受け身だった恋愛に関しては、まったく努力をしていませんでした。出会うことへの努力も、男性を元気にできるようなコミュニケーションの力もなく、自分が話したいことをただ喋ってしまっていました。
仕事に対しても、「このまま続けて果たして幸せなのだろうか」という気持ちが生まれ始めて、気持ちがざわつき始めていました。
眼の前にある仕事に対してさえ、確信が持てずに、
すべてが中途半端な自分だと気づきました。
自分は一体、何を求めているのか。
自分はどこにいきたいのか。
これまでの恋愛を振り返っても、私はとにかく受け身で、どんな人だったら自分が幸せにできる相手で、どんな人とだったら自分が自然に笑っていられるか。
そんなことをちゃんと考えたことがなかったように思います。
メイクやファッションが大好きだったので見かけは派手に見られていたのですが、私が本当に幸せを感じることは、派手なことではなくて、毎日の暮らしのなかに見出す小さな幸せが好き。新しく挑戦した料理が美味しくできたり、朝食を作るときに卵を割ったら本当に綺麗な卵黄が飛び出してきたり、素敵な定食屋を見つけたり。
そんなことがたまらなく私にとっては幸せなことだったのです。
これまで、俺様系の強い男性との出会いが多かった私ですが、合っていたのは派手同士の外見だけで、中身は一致していなかったのだと気づくことができました。
32歳のお正月。
久しぶりに福岡の実家に帰省しました。
両親は直接的には言わないけど、私の将来を心配している様子がなんとなく伝わってきました。
「そろそろ婚活をちゃんとしなくちゃいけないな」と婚活に本腰を入れるべく、会社のオフィスに最寄りにある大手結婚相談所に入ることにしました。
当時、入会の支払いはネットが主流ではなく、銀行振込でした。
20万円ほどの振込をするのは、ちょっと勇気がいり、2回ほど「大丈夫かな、本当に大丈夫かな」と入会をドキドキして、ATM~入口をうろうろしていまいました😁
きっと、防犯カメラをみていた警備員の方は「あの人、様子が変だぞ!?不審者か?!」と思ったと思います。
(おわり)
シリーズ①からがっつりと長いブログになってしまいましたが、いかがでしたでしょうか。
なにか、あなたの人生と重なるところがありましたでしょうか?
ぜひ、感想など教えていただけると嬉しいです。
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(無料相談・カウンセリングお申込以外のご意見・ご感想はこちらからぜひお待ちしております⇒marriagesalon.fricka@gmail.com)
また、シリーズ②も続いていきます。
どうぞお楽しみください。
ここまでお読みいただきまして、ありがとうございました。
今日もあなたの人生の幸せを願っています。
マリッジサロン フリッカ(Marriage salon Fricka)
代表 福崎ことみ